もしかしたら僕は支えられているのかもしれない。重荷と思っていたものは本当は僕を助けてくれているのだ。
一人じゃ生きていけない。一人だったらきっと今頃僕は自分をもっと大切になんかできなかった。命さえ捨てていたかもしれない。
例えるならば、君は補助輪だ。重くて僕の自転車は走り飛ばすことなんかできない。君が居なければ僕はもっと早くなるのに。自由にもなる。
だけどそうじゃない。僕はまだ補助輪を外せない子供なんだ。無くなればたちまち、バランスを崩し前に漕ぎ出すことができなくなって進めなくなる。君が居なければ自由になるなんて夢のような話だ。この自転車は僕一人で進んでるわけじゃない。進むために必要な一部なんだ。僕は君に今でも甘えて生きている。
だけど今ペダルを漕いでいるのは僕だ。どんなに重い補助輪も傾斜の坂も僕はこがなければならない。僕は間違った道に進んでないだろうか。僕は正しい道に進んでるだろうか。僕が止めれば自転車は止まる。君も止まる。僕が動き出せば君も回りだす。だから僕はきっと、踏み出し続けなければならない。
一歩は重くても、動き始めた自転車は必ずスピードに乗る。
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確か幼い時に補助輪を取る練習は二つの補助輪を同時に取らずに片方だけを外して、最終的には両方を外し、成功した。
それは何処か今の状況に似ている。
今僕は、いわば片親だ。
一つの補助輪は外れている。そのためにかかる自分への家事という仕事が身にしみる。
そしてまた最後の補助輪が外れようとしている。
僕には分かる。僕が自信を付けるまで君はここに居る。
君は僕のことが好きだ。僕も前から知っていた。君は僕にできないことがいっぱいあることを知っている。
君はそんな僕を心配している。だから君は案じて死んでも死にきれない。
だからきっと僕がバランスを保つまで、補助輪を外せる勇気を持ち合わせるまで、君はここに居る。
自転車より小さくて重い補助輪は回りに回る。大きな車輪が一周する時、補助輪は何回転するだろうか。
ただ前を見る僕は気づかないけれど、とても大きな力がそこにある。
君はもう疲れている。
だけど僕まだそんな君を手放せないで居るんだ。
だけど僕は君を重いと思ってしまう。
それでも君は僕が生きるすべを身につけるまできっと、この世に生きづつけるのかもしれない。
君は僕のために今日も生きている
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