あの時の僕は、向き合うのが怖かった。
責任感も覚悟も無かった。ただ目を合わせないようにそっぽを向いていた。
僕の手に余っていた。力不足だって諦めてた。逃げているだけだった。
あぁ。この道が長く続くんだ。そう思ってた。
頑張っても、もう前の道に完全に戻ることはできない。だから、頑張ることは無意味だ。
誰も信用なんかしてなかった。僕一人が背負うものだ。だけど僕一人頑張りたくはない。
イヤダイヤダ嫌だ。だけど、眼を背けているだけで何も変わらなかった。逃げられやしなくて、むしろ状況は悪化するばかり。
僕は此処に居るだけで、すごいことじゃないか。そうやって何もしない自分を正当化するのでやっとだった。
呼吸をするだけで精一杯。もうそれ以上何も求めないから・・・・。それは冗談じゃなくて本気の言葉だった。
始まりはなんだったのか。
今となっては出発点は何処か分からない。
ただ、かつての君と今の君との接し方が分からなかった。
自分の生き方すら危ういというのに、他の誰かを守ることなど僕には到底、考えられなかった。
こんな僕は生きる価値すら無いのに、どうすれば誰かを励ますことができるのだろう。
死んでしまえば1番手っ取り早いのに。
だけど、少しだけ動けるようになった。
まだほんの一歩だけど、それでも君に、そして自分の生き方にも向きあおうと思った。
すこしずつでいい。のんびりやれば良い。
相変わらず重い腰だけど、それでも僕は変わっていける、成長できると何処からか思えている。
だから、あまり変わってないじゃないか、なんて自分を責めないで居られる。
その分、苦しくない。
自分に甘いだろうか?
本当に変わっていけるだろうか。
でも自信を持って僕は、大丈夫だ!と答えられる。
それは何処からくる根拠だろう。
それは、誰かが待ってくれているからだ。長く長く、僕の気持ちが確かなものになるまで、何も言わずにただ待ってくれているからだ。
それは、大きな大きな存在だ。それでいて身近にも存在して僕を見守っている。
それと同じように、僕は僕の成長を末永く待つことにした。
そしてこんな僕の命にも価値がある。そう思えたのは、やっぱり世界の温かさを知ったから。
無だった価値を、生きている間に積みあげていこうと、思っていたけど・・。産まれてきた瞬間から、この結果を出せてない今の僕にだって生き続けているのは、既に価値があると、思ってくれている者がいるからだ。
今日は駄目だった。何もしてないない。だなんて自分を責めて傷つけたりはもうしない。
だから、それと同じように僕は誰かを傷つけたりはしないようにしよう。
笑わなくなったのは僕だ。
笑えなくさせたのは僕のせいだ。
冷え冷えとした家にしたのは僕だ。
それは全部、自分優先に生きてきたからだ。そのくせに、僕は誰の役に立てないと責めていた。
それはそうだ。何もしていなかったからさ。
だから僕はこれからは、自分のことを後にしよう。
それじゃ、自分のしたいことができない・・・・? それは違う。
自分のことを優先して生きたら、こんな人生になってしまった。
それよりも誰かのために力を尽くしたほうが、ずっと価値のあるものだ。
たとえ、相手のための行動の中でも心を込めて動けば、自分が見えてくるはず。
たとえ、何もできない日は有っても、僕は心の力は弱まっていなから、僕は明日の自分を信じている。
どっかの本に”明日の自分は他人” と書いてあった。どこかで納得していたけど、それは違う。
昨日頑張れて、今日ヤル気が下がってしまってもそのサイクルはやっぱり自分だ。僕は明日の自分も今なら信じられる。信じられないから、今日だけに賭けようとは思わない。明日も、頑張れる自分が居る。頑張れなくても許せる自分が居る。
僕は信じている。明日の自分も、明後日も心の炎は燃え続けている、と。
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